2019/04/11
Dearのっぺらぼう,
高校生のとき、死にたいね、死にたいね、学校行きたくないね、学校行きたくないね、と共に同じ思いと同じ時間を共有してきた友人がいた。20歳くらいまでは何となく連絡をとりあっていたがその後失踪した。
失踪したなど、バンドのフラッドオブサークルの岡庭匡志とか、バンドのkidorikidoriのンヌゥとか、重松清の疾走とか(失踪ちがい)、千と千尋の神隠し、とかでしか聞いたことがなかったけどそれは現実に私の目の前で起き、彼女は失踪した。
これまで連絡をとっていた電話、メールアドレス、SNSアカウント全てが削除され跡形もなく消え去った。
インターネットという手段でいろんな人と連絡を取り合えているけど、意外とあっさり全てのアカウントを消せば一人になれる、というかゼロ地点に立てるんだなとも思った。
彼女が失踪している間、私は何度か彼女の実家の住所宛に手紙を書いていたらしい。池袋にあるナムコナンジャタウンの便箋を使って。何を書いていたかさっぱり覚えていない。
そんな失踪したやつの目撃情報が飛び込んできた。
再会した別の友人は彼女をみつけた途端、肩を鷲掴みし泣き崩れたらしい。
そんな流れで色々あって、失踪していたあいつと私は10年ぶりに会うことになった。
待ち合わせはもともと嫌いだったが、いつになく緊張する。
あいつ変わっていないだろうか。
文句を言ってやるのはこっちで優位な立場なはずだけど、あいつに何て言われるだろうか。
国分寺で再会。私は泣き崩れなかった。
あいつの声のトーン、テンション、何考えているかわかんない触れてはいけないところ、ほとんどが変わっていなかった。
10年間何をしていたかはよく聞けなかった。
代わりに私は自分の10年間や他の友人2人の10年間にまで手を付けまあペラペラとよくしゃべった。でもあいつは、私が覚えていない昔の出来事や、私が書いたナンジャタウン便箋の手紙のこと、10年以上前のことを私よりもよく知っていてゆっくり話をしていた。
することがなくなった。
カラオケに行った。私はカラオケが嫌いだ。私は歌は歌わない。
---ここまでは前置き。
ここから音楽の話しますね。
あいつはクリープハイプの「のっぺらぼう」を歌った。
この10年の間、私はこの「のっぺらぼう」が好きでよく聞いていた。
なぜかというと歌詞が重く「だらしなく戻した胃の中身」なんて言う歌詞とリンクして、
私の軟弱な体がゲロったときにいつも頭の中に流れたりしていたんだけど、とにかく長谷川カオナシの声は優しく、その気持ちに寄り添うような感覚を持っていたからだ。
この曲はたぶん人との別れの曲で全然関係ないんだけど‘’もう聞けないな ‘’ とか、 ‘’ からっぽのお腹と心の中 ‘’ という歌詞の一部は確かに私に響いていた。
この10年の間、失踪したあいつも同じ曲を聴いていたらしい。
10年。10年経つのに人は変わらない。
同じ感覚を持っている人が同じような曲をやっぱり好きになるのだ。
10年ぶりに本当にあいつに会えてよかった。黒く重い感覚を思い出す事よりも、
電気グルーヴ×スチャダラパーの「聖☆おじさん」を一緒に聴いて踊りたい気分だ。
きっと私たちにはそれができる。
この先10年後も。たぶんね。
Sincerely,123